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アート芸術系4コマ漫画「美観の人々」と童画 秋野あかね美術館

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「映画 生きる」のように本当に生きている政治家の山本太郎に政治をやってもらいたいと思うのは私だけでしょうか? 2019.10.29・加筆12.6.

  

(日本は、力の強い者だけが生き残れる弱肉強食の動物の世界を目指している?)

   人は、年を取ると頭髪は薄くなるか白髪になるかですし。体の方も、あちこちにガタが来て、物忘れは多くなるし目も悪くなって顔にはシワやシミが浮き出てきます。年を取っても良い事は何もないですね・・・。

 

   でも、だからこそ老後ってあるんじゃないですかね?

体力が衰えたぶん、体を労わりながら孫の顏を眺めて、ゆっくりと趣味を楽しんだり旅行に出かけたりする。

 

   少し前までは、そんな老後が当たり前でしたね。そして、年を取って長生きするだけで偉かったのです。

 

 しかし、最近の日本はどうでしょうか?長生きすることが、迷惑なような世相に成っていますよね。年を取って長生きをすることが誰かの負担に成って迷惑をかける事に成るから、年寄りが気兼ねをしなければ成らないような雰囲気に成っていますね。

 

 一体いつから、このような社会に成ってしまったのでしょうか?

 

「映画 生きる」のように本当に生きている政治家に政治をやってもらいたいと思うのは私だけでしょうか?

 

 きっとそれは、年を取ると生産性が無くなるから社会や国にとってのお荷物で迷惑なのでしょうか?

 

 だから、富裕層以外の資産のない年よりは迷惑をかけないように90歳まで働けと言う事なのでしょうか。これで生きる希望の持てる幸せな国と言えるのか?そして、この国の国民で幸せだったと思えるのでしょうか?

 

 日本は、世界トップクラスのお金持ちの国なのに変な話ですよね。

 だからでしょうか、日本が社会保障費を減らす事に対して、国連からも世界の先進国で経済発展をした国に相応しい年寄りや弱者が尊厳を持って生活できるようにするべきとの勧告も受けていますね。

 

 そして、外国人は日本に来て多くの老人が働いている事に驚くそうです。

 

 中国では老人は敬われこそするが、年を取った牛馬のように鞭うって働かされる老人はいないそうです。それに中国では、今の所ですが女性は55歳で定年、男性は60歳でだそうです・・・。

 

 若者も、状況は同じですね。

 

 社会の格差は是正されるどころか開くばかりです。理由は、それを政治がそれを容認しているからとして考えられないですね。

 

大人の若年層の貧困が子供食堂を生んでいるのです。今の所それらが是正される兆しはなく、すべてが民間の努力だよりに留まって居ますね。

 

 正社員が減らされて、不安定な低賃金の派遣社員がどんどんと増やされていますが。普通は身分が不安定で使い捨てされるのなら、その分賃金は高くなくてはおかしな話ですよね。

 使い捨てされる側にとっては負担ばかりでメリットがないのではwinwinではないですよね。自由に働けると言うのは使う側の自分がってな言い分にしか聞こえません。

 本来ならば、そのような事が無いようにするのが政治の役目なはずですが、政治がそのような事を主導していると感じるのは私だけでしょうか?

 

 このような社会を作っておいて子供を沢山生めだの自分たちの責任を顧みず無理難題を国民に押し付けているように聞こえるのは私だけでしょうか?

 

 

(少なくとも先進国と呼ばれている国々では、人が人らしく生きられる国を目指している)

  フランスでは、結婚している、していないに、かかわらず子供がいれば国からの手厚い補助が出るそうです。ですから、フランスでは出所率が上がっているそうなんですが当然の結果ともいえるのではないでしょうか。

 

  北欧などの国々では、消費税率は日本よりも高いですが税金が国民の生活を裕にし守る為に使用されていると言えるのではないでしょうか。それに、全ての税を足して比べると日本は北欧よりも税金の負担額が大きいとの話もあります。ならば、日本も北欧型、いや世界一の国民が安心して暮らす事の出来る福祉国家に成っていても良いはずなのに・・・。

 

 イタリア人は、生きる事を楽しみ自分の人生を大切にしているそうです。

 

 そして、イタリア人は女性を大切にするそうで女性が荷物を持って道を歩いていると、かならず男性が近寄ってきて荷物を運びましょうかと声をかけて来て代わりに持ってくれるそうですし。

 

 会社では、男性のイタリア人上司は、出社してくる女性社員に対しては、必ずどこかしら誉める一言をかけてからでないと女性がヘソを曲げて仕事がうまくいかないそうなんです。

 そしてイタリアの会社では、午後4時頃に成るともう大抵の人は帰り支度を始めるそうで、もちろん残業などやる人は誰一人いません。

  学校でも、夏休みが3カ月ぐらいあって休みの1月ぐらい前からは、もう子供たちはソワソワしだして従業には殆どならないそうなんですね。

 みんな、のんびりゆったりと人生を楽しんで、日本人のように大地震の日も台風の日も出社しなければと言う人はいず、(その姿を見て外国人は驚くそうです)仕事を人生の一番大切なものとは考えてはいないのです。

 

 だからでしょうか、イタリアでは災害の避難者に対しも、少しでもストレスを忘れてほしくてフルコースを振舞ったりワインを提供したりするらしいです。被災者だから当たり前と我慢を強いるのではなく、被災者だからこそ贅沢をとの考えなのでしょう。日本のように、我慢して耐えろ、それが美徳だしかない考えとは大分違いますね。 

 


(世界でも高く評価されている日本映画の巨匠たちは私たちに何を教えてくれているのか?)

 「タクシードライバー」で有名な映画監督のイタリア系アメリカ人の「マーチン・スコセッシ」は、ニューヨークのイタリア人移民街で黒澤明の「生きる」を観て素晴らしいと衝撃を受けたそうです。

 

 映画「生きる」は、市役所勤務の平凡で真面目だが。ただそれだけで、とても生きているとは言えないような男がガンを宣告されて自分の余命を知り。誰からも相手にされなかった市民からの陳情を実現させる事によって初めて本当に生きるという事を知る物語で世界の有名監督たちからも高く評価されている作品です。

 マーチン・スコセッシも言っているように、この映画は文化を超えて多くの国の人たちの心を打つ力を持っています。それは、それぞれの固有の文化を超えて人間として共有できる共通の心を揺さぶるからだと思います。


 そして、日本の是枝裕和監督は、2018年のカンヌ国際映画祭で「万引き家族」で最高賞を取りました。

 

 しかし、この映画に対して国内では、日本の恥をさらすなとか。日本は良い国で、学校にいけない子がいるなんて聞いたことも見たことも無いとかの批判する方たちもいましたが。

 

 本当にそうでしょうか?

 この映画が外国で賞を得ることが出来たのは、「生きる」と同じように文化を超えて人間の持つ心を揺さぶる力を持っていたからなのではないでしょうか。

 

 日本には、見ようとしない人たちには見えないかも知れませんが、貧困も存在するし学校にいけない子供たちもいる事は確かな事でしょう。

 

 最近は、高齢者の万引きも増えているそうです。仲には、生活の為に刑務所の方が衣食住に困らないからとワザと少額の万引きをし実刑を受けて刑務所に入る高齢者も多いと海外で報道されてもいました。

 

 一方、庶民ではなく国会議員や大企業の役員たちが金銭的不祥事を起こした場合は金銭を返却しただけで、何事も無かったように済んでしまっているのが今の日本なのではないでしょうか。

 

 今の日本は、方の下の平等などは、絵にかいた餅でしかなくなっていると気づいている人も多いのでは無いでしょうか。


 「万引き家族」に対する批判は、単に日本のそのような部分を改善しようとするのではなく、敢えて見ないようにして格差階級社会を容認したい為なのではないでしょうか。

 

 私は、この映画の言いたかった事はこのような事かなと思っています。

 

 本当の家族でなくても、愛情があれば本当の家族にだってなれる。しかし、愛が無ければ血のつながつた本当の家族でも他人と同じ事だと。

 

 私は、どうも今の日本は、自分達さえ安泰な地位や財産を得られる環境にする事が一番の目標に成っており。多くの国民が、例えどのような環境に置かれても知った事ではないと。

このような社会に成っているのではと思います。

 

 私は、これを変えられるのは政治の力しかないと思っています。

 

 では、果たして日本に本当に、「生きている」と言える政治家はいるのでしょうか?そして、国民に対して本当に家族のような愛情を持っている政治家はいるのでしょうか・・・?

 

 私は、少数ではあるが、そのような政治家はいると思っています。

 

 深作欣二監督の映画「バトル・ロワイアル」では、国の政策により作られた法案により中学生たちが小さな島に集められて生き残りをかけて凄惨な殺し合いをするというものです。そして最後まで生き残った者だけが勝者となり解放されるのです。

 深作監督は、この映画を撮る動機の一つに中学生時代の凄惨な戦争体験や国家への不信感などが影響していると上げているそうです。

  政党「れいわ」の代表の山本太郎は、この映画に出演していて、最後まで生き残る役を演じていました。映画の中では最後まで生き残るとは、他者を殺して自分たちだけが生き残る事です。

 私は、この映画から何とかミクスを想像してしまいます。

 今の日本は、まさにこのバトル・ロワイアルの世界そのものなのではないでしょうか。

他者を押しのけ蹴落とし、自分だけが生き残れば良い。ある政治家が、将来の日本は意欲のある現在の半数だけが残れば良いと考えているような発言をしていましたが。

弱い者や障害者は、その中からはじかれてしまう心配はないのでしょうか?

 

   その政策の最初の主旨は違うのでしょうが。結果は、何とかミクスの富なり滴りなりを、島の住人で取り合うのですが、それは取り合いですから力の強い者が勝って当然なのです。

   弱者はその取り合いにさえ参加は出来ずに脱落していく。そのような事が無いようにするのが政治の役目のはずなのですが、今は脱落者をさらに叩いているように見えるのですがオカシイと思うのは私だけでしょうか?

 

 強い者から弱い者まで、取り合い奪い合いをしなければ生き残れない社会で良いのでしょうか?

 

 弱い者は強くなって、強い者を負かし乗り越えて生き残る社会ではなく。強い者は弱い者に分け与え共に笑顔に成れる社会ではダメなのでしょうか?

 

 私たちは、弱い者は生きていてはダメな社会ではなく、共に笑顔に成れる社会を目指そうとしている者を生かす事が大切だと思うのです。

「映画 生きる」のように本当に生きている政治家に政治をやってもらいたいと思うのは私だけでしょうか?

   だから私は「映画 生きる」のように本当に生きている政治家の山本太郎に政治をやってもらいたいと思うのですが。

そう思うのは私だけだでしょうか? 

しかし悲しいかな、そのような生きている政治家を「本当に生かすも殺すも・・・」国民しだいなんですよね・・・。

 

 

2019.10.29

(2019.10.29 改題、加筆)

(2019.11.11加筆12.6加筆)