「植木屋さんだって植物に詳しいとは限らない」
愛すべき人たち その1「序章」
文と絵 おおくぼ みつゆき
「序章」
このお話しは、
私が、とある小さな
園芸関係の会社にいた時の
愛すべき人たちのお話しです。
でも、
本文に入る前に、
少しだけ私の事と、
私がいた前の会社の事も
お話ししておきましょう。
「引きこもりだった私」
私は、
東京の写真専門学校を
卒業しました。
しかし、
就職に失敗してから
引きこもりになってしまったのです。
引きこもりに成ると、人は、
どんどんと自身を失っていきます。
そして、人に会うのが苦痛になり
自分は、何もできない
人間なのではないかと
思えてくるのです。
それでも、私は何とか
引きこもりから脱しようと思い、
人に合わずに出来る事をと考えて
幾つかの雑誌社へ漫画の投稿を
繰り返してみたりもしました。
結果は、
入選を繰り返して、賞金や原稿料も
頂いたりはしたのですが。
しかし、
ここからは、紙面でのそれらしい
文面を見ての想像ですが、
投稿のライバルの持ち込みを
覆すほどの実力はなかったの
だと思いました。
その時、もしも
私も持ち込みをしていたら、
きっと誰かのアシスタントを
やっていて新人デビューを
していたかも知れませんが、
きっと後が続かなかったと思います。
そんな事もあり、
私は漫画家は諦めたのでした。
そして、考えた末に、
人と会わずに仕事を出来ると思い
独学で竹細工をはじめたのでした。
しかし、
竹細工を、はじめてみたのですが
当時はまだ、今のようにネット
での販売が簡単にできるような
環境ではありませんでしたので
販売先に困ってしまったのです。
それで、
あちこちの観光地に自作の
品を、委託販売や買い取りを
お願いして回ったのでした。
もちろん、それまでの私は、
委託販売も買取販売がある事も
全くしらなかったのでした。
そのような事をしているうちに
徐々に人との接し方にも、
慣れてきたのですが。
やはりそれだけでは
中々収入を得ることは
難しかったのでした。
そのような時に、私は決心をし、
おなじ物づくりならという事で
木工関係の仕事ならなんとか
出来るのではないかと思い、
ある木工の会社に
就職したのでした。
「初めての就職」
その会社は
木製の窓やドアなどを
制作する会社でした。
当然、
その会社に入る時には、
私が以前、引きこもりだった事は、
会社には告げてはいませんでした。
いまは、「引きこもり」
と言う言葉も世間的に
認知されてきましたが。
今でも、まだ、
わざわざ自分から言う人は
少ないでしょうが。
当時は、まだ
引きこもりが一般的ではなく。
それこそ、私と同じように、
引きこもりで、苦しんでいる人が
日本中に存在するのだ
という事も全く知りませんでした。
ですから、当時の私には、
その引きこもりの苦しみが、
いったいどうしてなのかは
自分でも、
全くわからなかったのです。
きっと当時、たとえ
会社に申告したとしても会社でも
どの様に接したらいいのかも
分からなかったでしょうね。
なので当時の会社の人たちは、
私が、もと引きこもりだった事は
誰も分からなかったかも知れません。
だから当時の同僚たちは
私の事を竹細工で人形を作っていた
変った奴が入って来たな
位の事しか思ってはいなかった
のでしょう。
「初めての会社が」
その会社ですが、
もと引きこもりの人間が
最初に就職するには適している
会社とは、とても言えないような
会社だったのです。
どのような
会社だったかと言うと。
社長が商社にいたと言う割には、
社長が休み時間に成っても
女性社員などにも厳しく指導するような
前近代的な感じがする
会社だったのでした。
その女性社員と言うのが、
聞くところによると病気により長期
休職中の工場長の奥さんだと言うのですが。
社長は、
休み時間に成っているにもかかわらず、
はたから見ていても厳しい指導ぶりが
伺えるのでした。
それを見ている他の社員も、
心の中では、「やりすぎで
酷いんじゃないか」と、
みんな考えているはずなのに
誰も口には出せずに見ぬふりをして、
そそくさと休息室へと向かうような
嫌な雰囲気が漂っていたのです。
これは、最近の話ではありませんが、
そんなに昔の話でもありません。
現代なのに、このような事が有ると、
もと引きこもりの人間にとっては、
やはり人は怖ろしいものだと
思わされてしまいますよね。
「Sさんの事」
さて、この場面を見て
休息室へ向かう途中に、
私が何か一言ボソッと
言ったのですが。
何を言ったのかは、
覚えてはいないのですが。
何か、
その場の雰囲気を変えたくて
言ったのですが。
その一言に、
「Sさん」が答えてくれて、
「いい味出してるね」と言って
少し微笑んでくれたのでした。
その時、
私は「Sさん」も私と
同じような事を考えていて、
この人は、きっと信頼できる人
なのだろうと思ったのでした。
「Sさん」は、
社長が留守の時などは
自分から進んで社長の代わりに
他社への納品などもやっていた方でした。
若い、男性社員たちは、
みんな「Sさん」の事を
工場長と呼んでいました。
しかし、この会社の長老の
「オバちゃん」に言わせれば
「Sさん」は、
「工場長なんかじゃねえよ」
とは言っていましたが、みんなが
「Sさん」をたよりにしていたのは
事実でした。
いま思えばバカな事を聞いたなと
思いますが、私は、「Sさん」に
こんな事を聞いたことが有りました。
いつも色白の肌が、
うっすらと赤く染まっている
お酒が好きだと思われる「Sさん」に
当時の私は、
「どうして、お酒を飲むんですか?」
と聞いたのです。
すると、「Sさん」は
ちょっとだけ考えてから。
「そうだなあ酒を飲むことは、
風呂へ入る様なものかな。
酒を飲んで、心に付いた
一日の垢や汚れを落とすんだよ」
と野暮な質問にも真面目に
答えてくれたのでした。
因みに私は、
この会社を辞めた後に
入った会社では体を動かし
汗をかく事もあって、
お酒を飲むように成っていました。
それも、
ビールの大びんぐらいは
水を飲むような感覚で空けていました。
しかし、
決してお酒に強い訳ではなく、
何度も、飲みすぎを経験して、
翌日には「もう絶対に飲まん!」
と誓ったり破ったりを繰り返して
適量を覚えていったのでした。
今は、
一カ月に小さい缶ビールを
一本飲むか飲まないか程度です。
まあ、
これではお酒を飲むとは
言えない程度ですね。
理由は、
たとえ少しでも
飲まない方が明らかに
体調がいいからです。
飲んで体調が悪いという方は、
試しに一カ月間禁酒をして
出来るだけ睡眠時間も
増やしてみてください。
すると、
たぶん体調が回復してくると
思いますので、それからは、
それを持続していると、
だんだんと体調が良くなって
くると思います。
「社長の口癖」
社長は、
いつもピリピリとした
雰囲気を醸し出していました。
そして、
いつも言っている
口癖があったのです。
その口癖とは、
「アンテナ」を立てているか。
と言うものでした。
社長は、
ヒゲをそり忘れているのか、
面倒だから時々しか
剃らないのかは
分かりませんが。
少しだけ白髪の混じった
無精ヒゲの頬を、
顏の近くに寄せてきて。
口臭までも匂うのでないと
思えるほどの距離で
「アンテナ」を立てているか?
という事もありました。
しかし、
社長は、それがどう言う意味
なのかは言わないのです。
兎に角、
社長は社員に向かって
「アンテナ」は立てているか?
と言ってくるのです。
当時の私は、
「アンテナ?」
この社長は、
何を言っているのかな?
と、ただ漠然としてしか
アンテナと言う言葉を
捉えてはいませんでしたが。
いま思えば、
社長が社員に対して、
言っている事なのですから。
お前は、
社長の気にいられる事を
しているのか?
或いは、
社長や会社から
気にいられる事をしろよ。
という事なのだろうと
思うのです。
率直に言えば、
社長に対して忖度して、
仕事をバリバリやっている姿や
社長の機嫌をとる
行動をしろよ。
という事なのでしょうが。
しかし本当に、
それが社長や会社の為に成る
事なのでしょうか?
今の私は、
逆なのではないのかと
思うのです。
「アンテナ」を立てて、
いなければいけないのは
社長の方でなければ
いけないのではないのか、
と考えるのです。
例えば、
この会社は、
社員が快適に仕事を
出来る環境なのかと。
忖度をすべきなのは、
社員ではなく社長の方
なのではないかと
思うのです。
何故ならば、
社長だけが気持ちよく
過ごせても、それが
会社全体の利益に成るとは
思えませんよね。
その為に社員が、
犠牲に成っているのでは。
社員は、自分の本来の
仕事に集中できずに、
会社にとっても良い事とは
言えないと思うのですが。
如何なものでしょうか。
そのような、
ピリピリとした雰囲気を
出している
社長だったために。
この会社では、
休み時間も昼食時間も休息室に
社長がいて、社員は、まるで監視
されているような気分になって
いたのだと思います。
ですから
男子社員はみんな、そそくさと昼食を
済ませると各自の車の中で昼休みを
過ごすと言うような事でした。
なので会社にいる間中、全く
息の詰まる様な緊張感の漂う
会社だったのです。
「社長の思惑」
これは、私の考えですが。
なぜ、社長が社員に対して、
そのように厳しく接していたのかは
理由があったようなのです。
社長は、
この会社の前には
商社に居たそうなのですが、
継いだのか婿としてなのかは
分かりませんが。
古参の社員に言わせると、
社長は、木工の事なんか
何も知りはしないんだと
言うのです。
だから、何も知らない社長に
俺たちが教えてやったのだと。
それを聞いて私は。
だから、
社長は社員にたいして
舐められたくない為に
必要以上に厳しくして
見せているのかと思った
のでした。
しかし、そのようにするのは、
どうも女子社員に対してだけで
男子社員に対しては
しないのでした。
「愛すべき人々」
社長は、そのような方でしたが。
社員の方々は、
みんな親切な人たちでした。
とくに近所から、かよっていて
長年勤めているオバちゃんたちは、
みんな気のいい人たちでした。
社長に、
酷い目にあわせられていた
病気で長期休養中の工場長の
奥さんのお宅は立派な家で、
何かの折に会社の人たちと
おじゃましたのですが。
家からの帰りには、
オバちゃんたちは、口々に
今度は私の家にも
遊びにきてねと声をかけて
くれるのでした。
「退社」
その会社で三カ月目を迎えた
私は、社長に対して約束通りに
給料を上げてくれるように
言ったのです。
しかし社長は、
約束を守っては
くれませんでした。
そんな事や、私が
考えていた仕事とは違い
コンマやミリ単位の苦手な計算や
仕事にも嫌気がし、
この会社に何十年と長く勤めている
オバちゃんの
「きっと、あんたなら、
このまま続けて居れば
この会社の一番にだって成れるよ」
との
励ましの言葉にも答えることが
出来ずにたった数カ月で
辞めてしまったのでした。
その会社を辞める時には
経理の女性からも
「ここで、覚えたのなら
他のどこの会社でも
通用するから大丈夫よ」
との言葉も頂きましたが。
後に成って考えると、
この会社の近辺は同じような業種の
会社が何十と密集していて
オートメーション化した
数百人規模の会社なども
あったのです。
この経理の女性は、
私が入ってきてから
入社した方なのでが。
この近所の方のようで、
ここで、働いてみて
「噂通りの所だった」
というような話をしていたので、
この会社は、その中でも厳しい事で
有名だけど、この会社にいたのだから
他の会社なら普通に務まるからね、
との励ましの言葉だったのでしょう。
ただ、
この経理の女性は、なかなか
しっかりとしていて美しかったので、
社長は、オバちゃんたちとは違い
この女性にだけは、何か言われると
「はいー、なんでしょーか」
なんて返事をし、そわそわとして、
めっぽう丁重に
扱っていたのでした。
オバちゃんも、経理の女性も、
その時は有難う。
簡単に、
耐えられずに辞めてしまった私を
励ましてくれて本当に
嬉しかったです。
「風の噂」
私が退社して、しばらくしたころ。
たまたま、その会社にいた方に、
あったことが有りました。
その人の話によると。
私が、退社する少し前に
入社した女性がいたのですが、
「Sさん」は、その
女性との不倫を社長に疑われて
酷い目に合わされたそうですし。
それから、
しばらくして会社は倒産した
との話を聞いたのでした。
私は、その話を聞いて、
「Sさん」のような人を
大切にも出来なくて、
社長は、いったい何を
考えているのだろうと
残念な気持ちに成りました。
それから、
長年あの会社に勤めていた
気の良いオバちゃんたちは、
どうしたのだろうと思うと
社長に対して悔しい気持ちも
湧いたのでした。
今になって考えると、
ただただ、
人を力で従わそうとしても、
誰も、その人に対して
本当の尊敬や協力をしたりする
ものではないなと思ったのでした。
そんな事もあったのですが。
会社を辞めた私は、経理の女性が
言っていたようにその近辺の
別の会社に移るのは、
どうも、この会社の窮屈な雰囲気が
好きに成れなかったために
辞めたのでした。
「新しい会社へ」
私は、全く違う
業種の会社を探す事にし、
その過程で
私は、この園芸会社の求人を
知ったのでした。
この会社は、以前の会社とは
まるで違っていて。
前の会社と比べると格段に
「自由で、のびのび」とした
会社だったのです。
まあ、敢えて
今風に言えば、良い意味で
「ゆるさ」があって、まるで
天国にも感じられたのでした・・・。
序章 終わり
(2019.9.23修正 更新)
(2019.9.24 挿し絵一枚追加 更新)
「植木屋さんだって植物に詳しいとは限らない」
愛すべき人たち その1
へと続く