トップに見識や良識や常識が無ければ国民が不幸に成るのは必然だと思うのです2019.10.29
絵本「おならのしゃもじ」を読んで。
私が、「しゃもじ」で思い出したのは「宮澤喜一」さんでした。
宮澤さんは、選挙区が広島であった為に選挙に成ると何時も大きな杓文字(杓子)を抱えて写真に納まっていた姿を思い出します。
今の日本の状況を考えると、宮沢さんの様な考えの方が総理を続けておられたら。きっと、このような国には成っていなかったと思います。
宮沢さんは、インテリでエリートだったので、学歴に対するプライドのようなものを持っていて鼻持ちならないような所もあったようですが。
所属していた「宏池会」は御公家集団とも揶揄される事もあって、貴族的なお行儀の良さはあるが、武家のような荒事には向かないのだとも言われていました。
そして、宮沢さんは、スターウォーズのヨーダのモデルとも言われる噂があるくらい見識がある方でした。
英語は通訳の間違いも指摘したと言うくらいに達者だったそうなので、きっとアメリカでも、その見識ぶりに親近感を持たれていたのでしょうから、あながち噂でだけではないかも知れませんね。
それに少なくとも宮沢さんは、自分たちは特権階級であり下等な国民たちとは違うのであるとは考えずに。
国民に対して、例え、どんなに金持ちであろうとも貧乏人であろうとも、同じように「プーとオナラ」をする1人の人間なのだと考えられる良識や常識を持った方だったと思います。
だから、宮沢さんは、国民に対して自由や人権の大切さを説いていたのだと思うのです。
こんな事は、今の自民党からは考えられない事かも知れませんが。以前の自民党は、今よりももっと多様な考えを持った人たちが自分たちの考えを発言して自由に意見を戦わせていたのです。
以前は、総理なんて誰がやっても同じだと言われていましたが。それは、歴代総理たちが、国民に対しての最低限の良識や常識を持ち合わせていたからマスコミに対して圧力をかけたり公文書を改竄するような事は出来たとしてもやらなかったのでしょう。
最近は、つくづく国のトップは誰がやっても良いのではなく、どの様な人がトップに立つかは国民にとって非常に重要な事だと思うのです・・・。
2019.10.29
(2019.10.29改題、加筆)